自己紹介

【自己紹介】みにぷるってどんな人!?〜過去から今までの振り返り〜

みなさん、初めまして。「みにぷる」と申します。

2020年になり、新たにブログを開設しました。

普段はサラリーマンをしている男です。

趣味は旅行・節約・資産運用・散歩で、ミニマリストやシンプルライフを目指しています。

ちなみに名前の由来は「ミニマル×シンプル」で「みにぷる」です。

いまは実家暮らしのため、家全体をミニマル・シンプルにすることは難しいですが、ここ3年くらいで自分の所有物はかなり減らしてきました。

さて、まずはボクがどんな人なのかを小学生の頃からさかのぼって自己紹介します。

みにぷるってどんな人?

小学生編

地元の小学校に通っていました。この頃は「目立ちたがり屋」でした。

遠足や修学旅行でカメラマンの人に写真を撮ってもらう際も、ほとんどの写真に映り込むような少年です笑。卒業アルバムに載せる写真って、生徒が平等に写るように担任の先生が選ぶみたいですが、ボクが写っている写真があまりにも多すぎて、先生に「みにぷるの部分だけ写真切り取ってもいいか?笑」と相談されました。それくらい目立つのが好き(?)でした。

スポーツは合気道と野球、スイミングに通っていました。

合気道は家のすぐ近くに道場があり、親に無理やり行かせられていました。先生が超声がでかいコワモテ(笑)で、低学年の時は行きたくなくて、泣きまくってた覚えがあります。でも半強制的に連れて行かれ続けた結果、一番上の級(小学生は茶帯が最上級でした)まで取れたため、辞めることができました。

野球は巨人ファンで野球ゲーム(パワプロ)が好きだったので、自分でもやってみたいと思い、入りました。監督が怖すぎて、練習厳しくて、毎週土日は「雨降ってくれー!」と祈っていました。てるてる坊主を逆さにしていたこともあります笑。地元のグラウンドの敷地に老人ホームが出来ると聞いた時は心の中でガッツポーズをしました(別のグラウンドが使えることになり、練習は続きましたが・・・)。ちなみに周りの友達より遅くに入会しましたが、一丁前に背番号は一桁でした(ここでも目立ちたがり屋が発動)。

スイミングは、女の先生がめっちゃ美人だったことしか覚えていません!気付いたら辞めていました笑。

勉強は公文式(KUMON)に通っていました。

英語はすぐ辞めて(つまらなくて常に寝ていたらしい)、国語も何をやったか全然覚えていません。でも、算数は大好きでした!公文式の算数は計算が多いのですが、計算スピードはめちゃくちゃ上がりました。パズルをやるような感覚で楽しみながらやって、誰よりも早く新しい単元に進んでいたと思います。小学校3〜4年くらいまで通っていたのですが、その時には「sin(サイン)・cos(コサイン)・tan(タンジェント)」まで習っていました笑。全国表彰されたこともあります。小学校の算数の授業で計算ドリルを誰が早く解けるかを競うこともあったのですが、誰にも負けませんでした。小学生のボクが唯一自慢出来ることが計算スピードの速さでした。

ちなみにボクが通っていた小学校では、中学受験をしたのは10人もいなかったと思います。なので、小学生の時は「受験」という意識は全くなかったです。学校が終われば友達と外で遊ぶか友達の家でゲームするか映画を観ていました。

当時はクレヨンしんちゃんが大好きでした。一番好きな映画は「ヘンダーランドの大冒険」です。今でも爆笑できますし、ボク以上にこの映画に詳しい人に出会ったことがありません笑。

今思うと、小学生の頃から好きなもの・得意なものには没頭する反面、苦手なものや興味のないものについては逃げたがる性格でした。

中学生編

地元の中学校に通いました。ボクが通っていた小学校ともう一つの小学校の生徒が主にその中学校に通います。

小学生時代の「目立ちたがり屋」のおかげか、クラスではそこそこ人気のある立場だったと思います。友達に勉強を教えたり、授業中に友達とふざけて先生に怒られたり、学級委員をやったり、運動会の副団長をやったり。学生時代で一番楽しかったのは、間違いなく中学生の時です。今でもたまに友達と会いますし、成人式の2次会では幹事をやって中学時代のメンバーや先生を呼んでパーティーをしました。

部活はバスケ部に入部しました。小学生の時から、スラムダンクにハマっており、その影響で迷わず入部です。しかし、1年の夏に顧問が先輩の顔面をバスケットボールで殴る事件が発生し、ボクの同期およそ20名が立て続けに辞めました。顧問は怖いし、練習は辛いし、ボクも皆の流れに乗ってサクッと辞めてしまいました。4ヶ月ほどでの退部です。それからは、辞めたメンバーでゲーム三昧でした。

小学校の頃に通っていた公文式のおかげで、数学は余裕でした。3年間ほぼテストは100点でした。しかし、苦手な社会・理科は散々でした。特に、歴史が苦手で中1の1学期のテストの点数は30点台でした(社会の先生が超厳しく、問題も難しすぎて平均点がかなり低かったですが)。ボクは中1の1学期の時点で「もう理科・社会の勉強はしない!嫌いだから!笑」と周りに公言し、親にも話しました。その時からボクの勉強科目は5教科から3教科に減りました。そして中1から塾にも通い始めました。ボクにとって、学校の数学のレベルがあまりにも易しかったからです。

親には大変感謝していますが、裕福な家庭でもないのに地元から少し離れた、費用も地元の塾より高いところに通わせてくれました。そこで衝撃的な出会い(?)がありました。「英語」との出会いです。体験授業で教えてくれた先生の英語が分かり易すぎて、一気に英語に惚れました。公文式では全く続かなかった英語ですが、英語を勉強するのがすごい楽しかったのを今でも強く覚えています。英語の何が楽しかったのかというと、「英文法」です。これが謎解きやパズルにしか見えなかったのです。勉強というよりはゲーム感覚で学んでいました。そこからは、学校のテストもほぼ満点でした。先生に英会話の大会(スピーチコンテスト)に出てくれと頼まれて、学校を代表して出場したこともあります。もちろんネイティブでもないし、発音は下手くそでしたので賞をとることはできませんでしたが、いい経験になったと思います。

中学の3年間の勉強は基本的に「英語・数学・国語」しかやりませんでした。理科・社会は、クラスにいた全く勉強しないギャルと同じくらいしかできませんでした笑。でもこの「割り切り」が大事だったなと今振り返っても思います。いかに効率よく勉強して志望校に合格するか、ただそれだけを考えながら勉強をしていました。これは後付けですが、「勉強科目のミニマル化」です。友達からは「三教科おとこ」という変なあだ名も付けられました。

中3になると本格的に受験勉強も始まり、夏休みは塾にいることがほとんどでした。塾の合宿にも参加し、全国の優秀な生徒と一緒に模試を受けたのもいい経験です。この頃は、学校の勉強はほとんどやりませんでした。漢字ドリルを全く提出していなかったら、卒業式のリハーサルで卒業証書を受け取る練習を壇上でしていたら担任から「ちゃんと学校の課題出さないと卒業させねーからな!」と言われました。受験後に提出はしましたが、担任に言われたとおりに勉強していたら、どうなっていたことやら・・・。

勉強については自分のやり方を貫き通した結果、第一志望の東京の中高一貫校(高校受験も募集していた)に合格することができました。

中学生の時は、好きな遊びも好きな科目の勉強もどっちも楽しかったです。

高校生編

ボクが通っていた中高一貫校は男子校でした。自分で志望して行った高校にも関わらず、「なんでボクは男ばかりの学校にいるんだ?共学に通いたい!」と思いながら通っていました。

また、中高一貫校だったため、中学生からエスカレーター式に進級している生徒達で仲のいいグループが既に出来上がっており、今までの目立ちたがり屋のボクが影を潜めていきました・・・笑。みんなとワイワイ出来るようになったのは、高校2年の半ばくらいからと記憶しています。男子校ノリで、授業中は先生の話をして携帯でゲームをしたり、漫画を呼んだり、結構自由に生活していました。

部活は卓球部に入っていたと思います・・・。なぜ、こんな曖昧な言い方をしたかと言うと、正式に入部した記憶も同期の名前も覚えていないですが、授業後に卓球をしていた記憶がうっすらあるのです。1ヶ月もやっていなかったと思います。基本部活は全然続かない学生でした。好きでもなかったので、打ち込めなかったということです。

高校生になって大きく変わったことは、周囲の友達の環境です。進学校だったので、勉強が出来る友達がかなり多かったです。理系だったので、クラスの3分の1くらいは東大か医学部に行きました。なので、今まで得意だった数学や英語でもたいして目立つようなことはなくなりました。唯一、英文法(グラマー)のテストだけは学年でも上位に入っていました。もともと、英語・数学しかできなかったので、大学受験はかなり苦労することが見込まれていました。

しかし、ここでもボクは自分なりの大学受験法(?)を生み出しました。

きっかけは高校3年の夏頃、学校の物理の先生が雑談で「理系で大学に行っても研究ばかりで、お前達の想像する華やかなキャンパスライフは送れないからな!!!笑」と話していたことです。普通の人なら、理系といえば医学部・薬学部・理工学部、文系といえば法学部・文学部・経済学部などをイメージするかもしれません。でも、ボクは「理系でも文系の学部受ければいいのでは?」と思い、学部を絞らずひたすら大学の受験科目を調べました。

そしたら見つけたのです。

【慶應義塾大学 経済学部】試験科目:英語・数学・小論文

「これだ!」と思いましたね。今でも鮮明に覚えています。しかも、英語・数学の配点が高く、小論文は英語・数学が一定基準に達していないと採点されないということでした。

そこからは、ひたすらそれに注力して勉強し始めました。それまではセンター試験対策として、苦手な科目も嫌々勉強していましたが、3年の秋からは、得意の英語・数学だけしか勉強しませんでした。小論文はなんとかなる精神で、あまり勉強しませんでした。

学校では、いつも友達と遊んでいたので、友達からは浪人生用の予備校パンフレットを渡されたりもしましたが、得意科目の勉強だけに注力した結果、無事に現役で慶應義塾大学の経済学部に合格することができました。

努力する方向を自分で見つけて、それ以外のことはやらずに一点集中することができたから、うまくいきました。周りの同級生のように幅広くいろんな勉強ができるわけではなかったので、こうするしか方法がなかったのです。

大学生編

大学生活と言われて最初にイメージするのは、「サークル」ではないでしょうか。調子に乗って「テニスサークル(いわゆるテニサー)」に入りました。しかし、ボクはここであることを確信してしまいました。

それは「大人数でワイワイすることが苦手」ということです。

上下関係に気を使うし、自分が思ったように動けないし、ストレスだらけで、これまたGW明けくらいには辞めてしまいました笑。

また、人生初のアルバイトもしました。中学生の時に通っていた塾と高校生の時に通っていた予備校を掛け持ちしていましたが、時給や楽しさを考慮した結果、予備校は半年で辞めました。

ちなみに大学生活の前半に勉強で興味をもったのは、「簿記」でした。必修の授業があったわけではないのですが、高校時代からの友人が公認会計士の勉強をしており、その話を聞く中で簿記とい存在を知りました。数字を扱う内容だったので、少し興味も湧いてきて、独学でしたが、苦手意識もなく日商簿記の3級・2級を取ることができました。

また、大学で仲良くなった親友に教えてもらい、FXを始めました。8年ほどやり、最終的には数十万円の利益で終わりました。為替に関する知識は結構養われたと思います。いい経験でした(が、今はやっていません)。

詳しくは、こちらの記事を読んでみてください。

【損失・失敗談あり】投資初心者にFXをおすすめしない3つの理由こんにちは、みにぷるです。 先日、不労所得を得るためのおすすめの方法の一つに外国株での配当金収入があるということをブログにアップし...

大学3年生からはゼミにも入りました。このゼミは少人数だったので楽しかった記憶の方が多いです!ですが、多くの方が体験したであろう「卒業論文」を書く意味がボクにはよくわかりませんでした・・・。なんのために卒業論文を書くのか?書いたところで今後生かせるのか?

ボクが出した結論は、「ボクみたいな平凡な学生が書く論文は、自己満でしかない!(別に真面目に頑張って書いた人を否定するわけではないので、その点はご理解ください)」でした。なので、卒業論文発表前日にゼミを去りました笑。当時は皆から笑われましたが、全く後悔していないです。

そして、一番嫌だった就職活動。エントリーシートが書くのが苦手で、常にストレスでした。働きたくなさすぎて、就活開始の4月1日は周りが面接しているにも関わらず、ボクはゼミの試験監督をしていました笑。でも、自分で独立できるような知識もスキルもなかったので、渋々就活をして大手のメーカーから内定をもらい、そこに貴重な時間を注ぐことになるのでした・・・。

社会人編

今でも衝撃なのですが、ボクが入社した会社は入社式が終わった直後、バスで地方のホテルに連れて行かれて、新人研修という名の軍隊合宿が始まります。

挨拶は大声で声を揃えて行ない、朝は6時からホテルの屋外駐車場でラジオ体操、遅刻をすれば講師(教官)に厳しく怒鳴られ、合宿最終日は皆の前で大声で目標を言わされました(しかも「声が小さいっっ!!!」と言われ、何度もやらされる始末・・・)。まさに軍隊。ボクは笑いを堪えるのに必死でした。

営業職だったので(本当は経理とか人事がよかった)、所属の営業所に赴任してからも、数字(売上・利益)を毎日厳しく見られていました。他の部署に異動したかったですが、上司からは「営業所長になるまで営業を続けた方がいい。」と猛プッシュされました。

営業時代は、今のボクでは考えられないような無駄な飲み会・残業に付き合わされて消耗が激しかったです。当時はまだFXにハマっていたし、職場の人もボクがFXでお金を少し稼いでいることも知っていたので、「投資家になりたいんで辞めます!」と言って5年で会社を辞めました。

会社を辞めてからは、為替の値動き(チャート)とにらめっこの日々を過ごしました。ただ、収益は安定せず、それを嘲笑うかのように貯金が減っていきました。少しずつ不安になったボクは、新たな転職先を探してしまいます。そして2年間のニート期間を経て、転職をし、今に至ります。

無駄な取引先との飲み会とかは嫌いだったので、営業職ではありません。そこは譲れませんでした。

ちなみに、資産運用についてはFXを辞めてからはSBI証券の外国株投資に切り替え、配当金収入で不労所得を少しずつ増やしています。

詳しくはこちらの記事をご確認ください。

【誰でもできる】不労所得のおすすめ【米国株の配当金で収入アップ】こんにちは、みにぷるです。 最近は副業ブームですが、皆さんは副業として何をしているでしょうか? 例えば、YouTubeやブロ...

そして、ニート期間に出会ったのが、ミニマリズムでした。ものをひたすらメルカリに出品し、お金を稼いでいました。ものがスッキリすると、思考もスッキリし、無駄なことを考えないようになりました。読書などの勉強もするようになりました。個人的にはいいことしかなかったです。

みにぷるの強みと弱みとは?

エントリーシートのようですが(笑)、このように過去の自分を振り返って見ると、自分の軸のようなものが見えてきます。

強み:好きなもの・得意なものなど興味のあることはとことんやり込む。そして、それらについては負けず嫌い。数字を扱うこと・効率的に物事を考えることが得意。

弱み:興味の幅が狭い。嫌いなこと・苦手なことからはすぐ逃げたがる。集団行動が苦手。

誰もがそうかもしれませんが、ボクはこの強みと弱みが周りの人より極端です。

ミニマリズムという考え方に出会い、シンプルな生活を送れば、自分の好きなことによりいっそう集中して取り組めると思います。この2年間でボクの強みとミニマリズムは相性がかなりいいと感じました。なので、皆さんにもミニマリストの良さが少しでも伝わればいいなと思い、ブログという形でお届けしようと思いました。

みにぷるの将来の夢とは?

ボクの夢は「サラリーマンという会社に縛られた生き方から脱出して、自分の好きなことを生きがいにして暮らす」です。

もう公言します。時間はかかるかもしれませんが、年以内にこの夢を達成します。

これまでに記載の通り、ボクはミニマリストやシンプルライフを目指しています。物を捨て始めた約3年前から、自分自身の生活もかなり変化したと感じています。

ボク自身、ミニマリストとシンプリストの違いがまだ明確にできていない(おそらく明確な定義はないのでは?)ため、その2つを両立しながら、「物理的に物が少なくシンプルでミニマルな暮らし」かつ「精神的にもストレスフリーで快適な暮らし」を目指しています。そして、おそらく後者はサラリーマンでいる限り叶わないかと・・・。

普段の生活の中で意識している点や本から得た知識をアウトプットしつつ、同じような夢をお持ちの方々と関わっていきたい、また、少しでも誰かの役に立ちたいと思い、ブログを開設することにしました。

ミニマリストから派生した、節約・資産運用などについても触れていきたいと思います。

文章力もなければ、ブログ知識も全くない初心者ではありますが、少しずつ皆さんのためになるような記事をアップしていきたいです。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

みにぷる